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認知症高齢者と心の整理

完璧主義でなく最善主義で。

施設サービスにしても在宅サービスにしても、仕事への想いの強さなのか謎のプライドがあるのか『◯◯であるべき!』やら『普通は△△!』みたいなフレーズがごく自然に飛び交っている。

あ、職員の話ね。

普通て何やねん。

 

やれやれ。

もっとこう好意を持てる話し方というか、物事を穏便に済ませる気はないんだろうか。

そう、柔軟な考えを。。。

 

、、、柔軟て何や?

 

と疑問を持った事が今回のブログのはじまり。

 

今回は自分なりの『柔軟』を認知症高齢者の対応に当てはめて考えてみる。

認知症を理解する

ど定番やけども、まずはこれ。

そもそも認知症とは何ぞや?の部分をフォーカス。

(どうでもいいけど俺って『そもそも』多用するなぁ) 

 

面倒なので4大認知症の概要なんかは割愛。

とりあえず認知症は脳が委縮したりと、脳ミソの何らかの変化が原因で判断力や記憶力が低下するもの、みたいに解釈を。

 

これ、ちゃんとした病気なワケです。

で、判断力と記憶力に支障が出る症状を少し具体的に。

  1. ゆっくり丁寧に話さないと伝わらない。(伝わらない事の方が多い)
  2. 説明した事に対しての返事が支離滅裂。(そもそも会話が成り立たない)
  3. さっき説明した内容を忘れて同じ訴えや行動を繰り返す。(利用者は大真面目)
  4. 1に戻る。

とまぁこんな流れか。

 

多くの場合、どれだけ経験や知識がある古株、所謂ベテラン職員であってもこれには苛立ちが見え隠れすることもしばしば。

少し冷静に考えてみる。

溺れてる人に『息しぃや』ってのは無理。

つまり認知症の罹患者に『解っとけ』『覚えとけ』『じっとせぇ(動くな)』は無理。

 

その場で抱いた感情はさておき、理解を深めるには何かに例えて解釈してみる。

常に親切丁寧、それこそ品行方正とはいかない。

が、今回の様な対人援助における理解の先にあるものは

相手と一線を引く思考を持つこと

そんな気がする。

認知症と諦める

『あ、こいつアカンわ』

『いや、もう無理やろこれ』

『あー、期待してへんからもうえぇで』

これ、思ってても介護の現場で口に出したら基本はアウト。

口に出したら最後、職員からの集中砲火を浴びる大義名分の出来上がり。

重要なのはこれらを腹ん中で留めておくこと。

 

こんな場合、怒りの感情として処理されがちだがちょっと変換する。

諦めとして捉えるとどうだろうか。

『あ、しゃーないわ(仕方ないわ)』

『まぁええか』

ちょっとニュアンスが変わってるんでない?

 

完璧主義でなく最善主義。

多少の問題行動があったとしても

『何それ?流行ってんの?w』

くらいのスタイルで接する事ができたら概ね良好。

相手を軽んじる訳でないが、怒りに任せてぶちかます接するくらいなら、こっちの方が自分にゆとりが持てる。

 

理解の部分では相手と一線を引く思考、などと能書きをたれたが

諦めが理解の材料になる

そんな気がする。

まとめてみる 

感情を先走りさせない為に、感情と理屈を分けて考えてみる。

身動きが取れなくなったら、潔く諦める。

完璧主義でなく最善主義で。

ほんまこれ位でいい。いや、むしろこれ位がいい。

 

『自立支援』『残存能力の活用』などと綺麗ごとだけが先走り、そしてその内容も冷静に理解されないまま不安定な人間が不安定な人間の支援を行う。

地獄絵図である。

 

普通の人間とア◯が喧嘩したら多くの場合◯ホが勝つ。

住んでる次元が違うから。

なんで、普通の人間が如何にして自分に折り合いをつけるか、納得する理由を作れるか、が鍵となる。そんな気がする。

 

感情をロジカルに掘り深めて細分化する事で気持ちの整理を試みる。

残念な事に、メディアでは介護福祉士による虐待事例が度々報道されており、マスコミの格好の餌食となっている。

マスコミに最も喜ばれる注目されるネタとしては、虐待を通り越して相手を死に至らしめる結果となる事例。

場合にもよるだろうが、自分の感情に整理がつかず、途中から自ら喧嘩を吹っ掛けている様相とも見受けられる。

(全部が全部とちゃうでしょうけど)

 

心の無駄遣いは消耗が激しい。

相手に強い怒りや恨みを抱き接するくらいなら関わらない。

あかんと思ったら諦める。

介護という職種を軽んじる訳ではないが、介護はある意味適度でいい。

それ位が丁度いい。

 

相手を手管に取るにはまずは自分から。

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